トレーニングコース(2017年度)体験談

2017年に始まったトレーニングコース。その第1期生として、コースを修了した受講生による体験談をご紹介します。(五十音順)


<石橋佐枝子>
 精神医療福祉の現場では「当事者(患者)の声を聴くことの重要性」「患者中心主義」が強調されています。しかし、そのための具体的な方略は十分に示されておらず,スローガンに終始してしまい、実際は「そうしたいのはやまやまだが大勢の患者を抱え、一人一人に十分に割く時間がない」と感じ悩む医療者も多く、そうなると短絡的に正答を教えたり,ダメ出しをしながら自分が「よい」と考える方へ導くようなケアになってしまっていたのではないかと、これまでの自分のケアのあり方を振り返る機会となりました。 
 ODの原則に沿った対話をすると、当事者の声に耳を傾け,当事者に今後の治療・ケアに協働してもらうことが自然な形で行われやすくなります。これが、「ODは哲学であり、治療はその副産物である」といわれる所以であることを様々なワークを通じて体験できました。一方的に与える治療ではなく、どうしたら今よりもよくなるかを当事者・家族・セラピストがチームとなって考えていく、そんな本来の「チーム医療」の原点に立ち返ることを実感できた研修でした。講師であるミアさん、カリさん、また40名の仲間に出会えたことに心より感謝すると同時に,次にコースに参加してくださる新たな仲間との出会いに期待してます。 

 


<石原孝二>

トレーニングコースでは、「話す」ことと「聞く」ことを分けることを徹底して学んだように思います。最初の週末での経験は衝撃的なものでした。生まれて初めて人に話を聞いてもらった、そんな感覚でした。コースでは、一人一人の声に丁寧に耳も傾けながら、人の話を聞く経験と、自分の声を聞いてもらうという経験が積み重ねられていきました。

コースへの参加を通じて、コミュニケーションに対するイメージが変わり、コミュニケーションとは何なのかを初めて理解できたように感じました。コースに参加することによってその後の日常の感じ方にも変化が起き、その変化した感覚は今に至るまで持続しています。1人1人の声にきちんと向き合っていくということ、ポリフォニーを維持すること、声にならないわずかな心の動きに敏感になることがオープンダイアローグの対話の特徴なのではないかと感じています。

 

 

<岩波孝穂>
 対話とは何かまだまだわからないし、知れば知るほど奥が深い。
 対話では自身の身体性にも注意を向ける。対話は時に音楽の演奏にも例えられる。トレーニングコースでは音楽教室で楽器を学ぶように、対話を対話的に学ぶ。話して聞いて、応答され、応答する。対話を学びながら色々なことに気づき変化する。安心・安全が感じられる場で話し、聞かれ、応答をもらう事で自分自身を見つめ直す事にもなる。私は自分がどれだけ人の話を聞けていなかったをまず痛感した。自分に気がつくと考え方や生き方にも変化が出る。「オープンダイアローグは臨床場面の技法だけではない。」というのを肌で感じた。日本でも少しづつ芽生えてきておりますが、どうせでしたら本場フィンランド/ラップランドからの産地直輸入で体験して頂くことをオススメします。 


<岩本雄次>
 トレーニングコースが始まった当初、受講生全体に自分の気持ちをシェアする場面があり、自分のことを「オープンダイアローグ馬鹿」という風に表現したことがあります。書籍を読み漁り、講演会を駆け巡り、ケロプダス病院の視察を経てから参加したせいでしょうか。心や体よりも先に、これまで知識を蓄えてきた頭が反応してしまい、不全感に苛まれていた時期の一幕でした。トレーニングを終えてみて、オープンダイアローグとは“何か”を説明するのはますます難しくなりました。一方で、言葉にできない体験をたくさんさせてもらった手応えがあります。言葉で定義した瞬間、形式を定めた瞬間に別物になってしまう、対話にはそんなつかみどころのない側面があるかもしれません。でも、自分の身をその場に置いて体験をしてみると、たしかに伝わってくるものがあります。トレーニングコースにあるのは、ゴールではなくプロセスです。時々、気が遠くなりますが、その道を共に歩き続けてくださるみなさんを歓迎いたします。 


<大井雄一>
 さまざまなご縁からオープンダイアローグと出会い、4年ほどになります。自分なりに様々な書籍や文献、ワークショップなどで学んでまいりました。しかしながら、このトレーニングコースには、それまでに私が触れた知見とは明確に異なるものがあふれていました。それは圧倒的な量の「経験」です。クライアントとして、専門家として、人として…異なるレベルでの様々な気づき。書籍等による乾いた「情報」と、自らが体験者として手を伸ばし身体に刻んでいく「経験」とでは、その意味と重みは全く異なるものでした。それを得ることを可能にしているのは、講師であるカリさんミアさんによるファシリテートです。十分な時間をとり、心理的安全性が保たれたなかでの、対話。コースの構造そのものが、対話性に満ち溢れたものになっています。現在私は、ヘルシンキで行われている、オープンダイアローグのトレーナーを養成するためのトレーニングコースに参加しています。この日本でのトレーニングコースの経験は、私の新たな道を開いてくれました。そしてこの経験を共にした40人は私にとって、対話の未来をともに形作っていく、大切な仲間です。2期目のコースを通じてそこに新たな仲間が加わってくれることは、私にとってこの上ない喜びです。 


<大谷保和>
 オープンダイアローグ(以下OD)については書籍等で勉強したり、ケロプダス病院に視察に行く機会に恵まれもしたのですが、このトレーニングコースに参加して、ODを自らの中を通した体験として学ぶことが一番得たものが大きかったです。コースはトレーナーであるカリさん・ミアさんがお2人で対話的に進めていくのですが、全期間を通じてODを感覚レベルで追体験できたように思います。参加者間の自己紹介や関係づくりをじっくり時間をかけて行ったこと。参加者の声を聞きながらコース内容が作り上げられ進んでいったこと。リスニング、リフレクティング、ロールプレイなど様々なワークを重ねるなかで、一貫して安心・安全な場を作ることに最大限の気配りがなされ、そこで自分の中に浮かんできた声を、どんなものでもジャッジされることなく尊重して聞いてもらえたこと。これらを通じて、気づいたら自然と自分の中に人の話を聞く姿勢や新しいものを取り入れる心のスペースが広がっていました。押し付けやコントロールではなく、自然に人が変わりうるプロセスがそこにはありました。この感覚は今も自分の中に残っていて、対話的に臨床実践を行う際の大事な支えとなっています。本当に貴重な体験だったと思います。 


<斎藤環>
 オープンダイアローグの入門書を出版し、いちはやく臨床での応用をはじめてみた精神科医の立場からトレーニングコースを受講してみましたが、その経験に圧倒されました。もちろん対話は、誰でもできます。にもかかわらず、とても奥深い。いや、「深い」というと、孤独に研鑽を積んでいく修行系のイメージですが、それとはむしろ対極です。「深い」というよりも「広い」のです。チームでの対話がひらく広大でポリフォニックな空間で、自らの主体性を回復すること。その過程は決してスムーズなものではありません。頭ではある程度分かっていたつもりの「対話」が、身体を通すことで文字通り血肉化され、その過程で「言葉を失う」経験を何度も味わいました。「言葉という他者」が私の身体の中で生まれ直す経験は、私自身が治療者としてもリセットされるような経験でした。もう一つ、個人的には、カリさんやミアさんのスーパーバイズのスタイルにも感銘を受けました。指導される側の安心と安全に配慮し、ダメ出しよりも自発的な気づきを重視するやり方は、私自身の教育のスタイルにも大きな影響をもたらし続けています。一人でも多くの方がこのトレーニングコースに参加して、この希有な経験を共有して欲しい。それが私のいつわらざる思いです。  


<笹原信一朗>
 このトレーニングコースを受講して本当に良かったと実感しています。約1年かけて、合計100時間以上の時間を確保するのはかなり大変でしたが、その苦労を超える喜びをコース修了後に私は味わいました。そして、そのトレーニングコースで得られた様々な体験が、今実際の臨床場面でものすごく役に立っています。 
 トレーニングコースのなかで、ファシリテーターのカリさんとミアさんから「体験ベースのトレーニング」が重要だと聞いていたのですが、本当にそうだなと実感します。この体験をまとめて言葉で伝えるのはなかなかに難しいのですが、トレーニングのなかで私が感じたのは、「みんなで話が出来て、良かった」という感覚です。このトレーニングコース自体がそのような体験をそれぞれの視点で日々積み重ねて行くことになるのではないかと私は思います。そして、トレーニングコースが終わった後に「このトレーニングコースに参加して、いろいろな人と話が出来て、本当に良かった」という体験を皆さんができること間違いないと思います。本当にオススメです。 


<三ツ井直子>
 ひとが生きている世界に入り、その世界の中で一緒に生きることはできないという当たり前のことについて、トレーニングに出る前の私は考えてみたことがなかった。自分のものさしで世の中をみて、わかったような、寄り添えているような気になって、目の前の人の話を聞き、同じ世界に生きているような錯覚の中にいた。トレーニングの中で大切にされていたのは、「自分」が今ここで、どう感じているのかを言葉にしていくこと。目の前のひとの語る世界に触れて、自分のからだとこころが、どう反応しているのかに敏感であれるように意識した。第一ブロックを終えた昨年の5月、スタディグループで集まったときに、言葉にできた自分が体験していた恐怖心を忘れない。自分とは異なる大勢のひとが、急に目の前に湧いてきたような奇妙な感覚は、安心感とは程遠く、ひどく疲れ、自分の世界が脅かされるような体験だった。オープンダイアローグのトレーニングのプロセスの中で、出逢った40人の仲間とのふれあいの中で、徐々に恐怖心は変化し、自分の世界が脅かされるわけではないことを体感し、自分が世界に開いていくような試行錯誤の日々を重ねている。 
 ひとの数だけ世界はある。自分自身が生きてきた中で積み重ねてきた、さまざまな反応と向き合いながら、目の前のひとの世界に触れていく対話という架け橋に、私は魅せられ続けている。 


<山田成志>
 「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」。トレーニング初日、僕は精神医療現場での非合理性へのもどかしさ、怒りのようなものを持ってその場にいました。そこに現れたミアさん、カリさんはあくまで柔らかく、対話的。その佇まい、態度を持って、対話をする人の在り方を示してくれました。毒気を抜かれるようにしてスタートしたトレーニングでは、対話をめぐる体験の連続。ミアさん、カリさん、参加者の皆さんと共にした時間の中で、たくさんの学び、発見があり、心が動き、自分の在り方が変化していくのが実感されました。「対話性」を自分の責任と専門性としていくこと、今後も探究は尽きませんが、以前のような苦しさはなく、開けた心地よいプロセスになりそうです。オープンダイアローグトレーニングコースは治療者が受ける治療のようなものかもしれません。この体験が広がっていくことを嬉しく思います。